胸熱いやほい

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【柴犬】ペットの死去と命の存在意義【生命】

今日は実家の柴犬のロッキーの話をしようと思う。

執筆慣れしない中、春先に記事にしたばかりだ。

nagaihksk.hatenablog.com

 

共に生きた愛犬ロッキーとの思い出

高校を卒業し、専門学生時代からロッキーと過ごす生活がスタートした。

血統書付きのため、見間違うことなくいかにも「柴犬」な見た目の柴犬ロッキー。

 

この時点でロッキーは3才だったはず。

犬の散歩等の世話は基本的に自分の役目だった。

 

『散歩に行くよー!』
と、リードを首輪につけに向かうと、きゃんきゃん鳴きつつ体全体で喜びを全力で表現する。

 

お散歩中もとても無邪気で好奇心旺盛。

興味につられては、すぐにふらふらとどこへともなく寄り道する。

それはまるで映し鏡、どことなく自分自身のようだった。

 

ロッキーは、家の庭で番犬として飼われていた。

もふもふなちょっとだけ逞しい家の守り神。

 

また、僕は八王子まで車通学をしていた。

本当に朝に弱いので毎朝ツラかった。

 

そんな僕をロッキーはいつも応援してくれていた。

行きは、車体が見えなくなるまでいつも庭から見送ってくれた。

 

『行ってらっしゃい!』

『頑張ってきてね!』

 

突き出した顔がまさにそう言ってくれているようだった。

 

帰りは、エンジン音を聞きつけた瞬間から喜びの舞いのようなものをして出迎えてくれた。

それは、お散歩に行く直前の素振りにとても似ている。

 

『おかえりなさい!』

『お疲れ様!』

 

そんなような気持ちは十分伝わった。

いつだってロッキーは全力で僕を支えてくれた。

 

毛むくじゃらなそのもふもふの生物との関わり合いは、

いつの間にか確かに生活の一部になっていた。

 

しかし、自分が課題や就活で忙しくなってくると、少しずつ心の余裕が消え始め、

食べて寝ての生活を毎日繰り返しているロッキーが次第に羨ましくかつ疎ましく感じる時もあった。

 

そうしてロッキーと毎日共に過ごした2年間の学生生活を終え、

就職のために引越し、23区内で初めてのひとり暮らしをスタートさせた。

 

それからしばらくは、都内の生活にどっぷりと浸かっていた。

つまり社会人になってからは、実家にたまに帰省したタイミングでしか関われてはいない。

 

そこに君は存在しない世界

ロッキーは、11才になる間近でこの世を去った。

ついこの間。6月末のことだ。

 

人間の年齢で言うと晩年に差し掛かる。

屋外で飼われている番犬としては、そこそこ長生きしたのかもしれない。

 

見た目に関していえば、ここ最近で一気に老けた。

会う度に加速的にそれを感じることがとてもツラかった。

 

手元にある写真は若い元気のある頃のものばかりだ。

無意識に老いから目を背けたい気持ちもあったのかもしれない。

 

少し脱線した話をすると、両親も祖父母も親族もみんなそうだ。

誰も彼も明らかに変化している。

どこに向かっているのかそれを考えると、たちまち胸の奥が苦しくなる。

 

ペットはどの動物もその変化が顕著だ。

餓鬼だった自分をいつの間にか追い越し、置き去りにする。

 

もう一生会えない。

君は存在していない。

 

ふと気を抜くと頭によぎる。

お別れは実に無慈悲。

 

反省と現実逃避と過去回帰願望と

無慈悲な世の中にも運命論はあると思う。

なにかの縁があったから生きるうえで接点があり、時間を共有するに至った。

 

きっと意味があるのだ。

全ての縁は必然なのだ。

 

そう考えるとエゴかもしれないけど、もっとしてあげられることがあった気がしてならない。

動物は言葉を交わすことができないからこそ、表情や態度や仕草で訴えかける。

何を望んでいたか。

 

ロッキーはいつだって意思表示をしていた。

積極的にコミュニケーションを取ろうとしていた。

 

日常の忙しさやロッキーの老いから目を逸らし、回避していたのは自分自身かもしれない。

多くの人は、何事も「現実」となってからでないと本当の意味で気付くべきことに辿り着かない。

 

知的動物であるのにも関わらず、都合の悪いことは思考を止める。

知能があるからこそ無意識下で避けているのかもしれない。

 

ただ、最近は実家の近くに引越してきたため以前よりは帰省の頻度も大幅に高くなっていた。

特にこの春あたりはロッキーと関わる時間を作る工夫をしていたかもしれない。

 

きっかけはヒトデさんの記事

www.hitode-festival.com

 

ペットロスについて。

今までで最も心を動かされた記事かもしれない。

感極まってしまったことを今でも覚えている。

 

ブログは読者に対して大きな影響を与える。

はてなブログ開設に至った経緯もヒトデさんのおかげだ。

つまりたくさんの感謝を抱いている。

 

ロッキーには確かに兆候はあった。

明らかに衰弱し始めていた。

 

ほとんど吠えなくなった。

毛並みが一気に悪くなった。

常に気怠そうになった。

 

他にもたくさんの悪い変化があった。

それらによって「なにか」を察していたのかもしれない。

 

先日は、満足した様子になるまでいっぱい撫でてあげた。

懐かしさと哀愁をひしひしと感じた。

 

無関心や放置の状態でお別れしないで済んで多少は救われたような気もしている。

もしきっかけが無かったとしたら、もっと大きな自責の念に駆られたかもしれない。

 

最近、立て続けに失うものばかりだ。

疎遠になったり紛失したり心に負荷がかかることが続いている。

 

生きぬくって大変。

この世に永遠なんてものは何ひとつ無い。

 

逆に全ての物事が儚い。

視野を広げたら万物が刹那的である。

 

生涯は短くやり直しもきかない。

どう生きることが正しいのだろうか?

 

命は尊いものらしい。

産まれて死ぬまでにどのくらい意味のある人生を送れるのだろうか?

 

そもそも「生命」などのようなビッグテーマに正解はあるだろうか?

いくら考えても答えを導き出すことなんてできそうにないのに確実に直面する鬼畜なテーマなのかもしれない。

 

今日の天気は眩しいくらいの晴天だった。

しかし、ロッキーの抜け毛や爪痕や足跡のみが無情にも生々しく残っている。

まるで少しだけ長めのお散歩にお出かけしているかのように。

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